【世界遺産検定】広島平和記念碑(原爆ドーム)
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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■広島平和記念碑(日本・広島)
文化遺産、登録基準 (6)、登録年 1996年
ここは、1951年にチェコの建築家『ヤン・レツン』が設計した建物で、元々は広島県物産陳列館として開館し、その後は広島県立商品陳列所として改称され、第二次世界大戦時には『広島産業奨励館』として活躍していた。
これを、壊したのは言うまでもなくアメリカが投下した原子爆弾『リトル・ボーイ』ですね。
ーー世界遺産検定教科書よりー
1945年8月6日午前8時15分、アメリカの爆撃機エノラ・ゲイが投下したこの爆弾は、広島産業奨励館の南東約160m、高度約580mで炸裂。発生した火球による強力な熱戦と爆風のため、広島の街は一瞬にして破壊された。広島産業奨励館も大部分が崩落したが、衝撃波をほぼ直上から受けたため、ドーム部分の鉄筋の骨組みと壁の一部が残された。
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倒壊の危険性に加えて、悲惨な出来事を思い出したくないと、取り壊しの声もかなり上がったそうですが、被爆の恐ろしさと悲惨さを後世に伝えることを広島は選びました。
1966年に正式に広島市議会で原爆ドームの永久保存を決定し、1996年に世界遺産登録。同時に負の遺産として【核兵器廃絶及び世界恒久平和】という【ヒロシマの願い】を発信し続ける、世界的に重要なモニュメントとなりました。
この3日後、長崎にも原爆は落とされていますよね。
これでやっと日本は、8月14日にポツダム宣言(アメリカ・イギリス・中国から日本への降伏要求最終宣言)を承諾しました。そして翌日1945年8月15日の正午、昭和天皇の玉音放送(天皇陛下の肉声による放送のこと)で、大日本帝国の敗戦が全国民に伝えられました。
ただ、他の国では、実際に日本がポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を第二次世界大戦の終戦日としているようです。
昔、地球へ帰還した毛利飛行士は「宇宙からは国境線は見えなかった」と言いましたね。実際は宇宙に行ったことないのでわかりませんが、そう言うことでしょう。
【世界遺産検定】 紀伊山地の霊場と参詣道
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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■ 紀伊山地の霊場と参詣道(日本・和歌山、奈良、三重)
文化遺産、登録基準 (2)(3)(4)(6)、登録年 2004年/2016年範囲変更
3件にまたがっている紀伊山地には、古代から続く霊場が点在しています。世界遺産に登録されている主な場所は以下の4つ。
・吉野・大峰霊場
・上記3か所を結ぶ参詣道
これらの霊場は、神道と仏教が融合した【神仏習合】という考え方です。日本には元々神様が多数存在しましたよね。自然の中にも神様がいたり、朝廷にも神様がいました。仏教が外国から伝わった際に、仏教の仏も日本古来の神様の一人として迎えられたそうです。神社に神宮寺が建設され、神前読経が行われるようになり、当時から受け入れる文化だった日本は、うまーく融合していったんですね。
明治政府が『神仏分離令』を出すまでは、日本では仏教と神道の区別は特になかったそうです。この神仏分離令により『廃仏毀釈運動』がおき、神社の中にあった寺院や仏像が次々と破壊され、数多くの貴重な文化と文化財が失われたそうです・・・なんでそんなことしたのかしら。
また、廃藩置県(明治4年に明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革)に伴い、寺社領は没収。財政基盤がなくなった寺院は廃寺になったのです。一方神社は、国家祭祀の施設として政府の管理下に入らされましたが、第二次世界大戦後は、神道も一宗教となり現在にまで続いています。
眠い・・・
【世界遺産検定】姫路城
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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■姫路城(日本・兵庫)
文化遺産、登録基準 (1)(4)、登録年 1993年
姫路城は、日本に残る城の中でも木造城郭建築の最高傑作とされています。
<持ち主/関係者>
赤松則村(あかまつのりむら)が砦を作って
↓
羽柴秀吉(はしばひでよし)が拠点にして
↓
池田輝政(いけだてるまさ)がそのあと城主となって
↓
本田忠政(ほんだただまさ)が最後に城主となった
覚え方「え!赤羽に池があるの?本当だ!」(笑)
姫路城は、白漆喰(しろしっくい)の総塗籠(そうぬりごめ)の外壁で、その優美な姿から【白鷺城】とも呼ばれています。もちろんそれだけではなく、かなり巧妙で実用的に作られている城でもあります。
・らせん状に構築された複雑で巧妙な縄張り
・自然丘の地形を生かした曲輪(くるわ)や堀
・数多く配置されたやぐらや門
・内部から弓や鉄砲を撃ちかけられる狭間(さま)
・石や熱湯を浴びせかける石落としなどの仕掛け
これらによる高い防御能力を兼ね備えている城でもあるのです!すごい!
更に、1615年の一国一城令(一国に大名が居住あるいは政庁とする一つの城を残して、その他の城はすべて廃城にしなさいというもの)、明治維新の廃城令、第二次世界大戦の戦火・・・これらすべてを免れた姫路城は、江戸時代初期の姿をそのまま残してあるのです。
2009年~2015年にかけて屋根瓦や漆喰壁の保存修理が行われましたが、修復を行いながら「真正性」を保ったため、かなり高い評価を得ています。
※真正性とは、材料・構造・工法など修繕する時もできる限り当時のものや方法を使うのが望ましいとされる概念
【世界遺産検定】屋久島
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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■屋久島(日本・鹿児島)
自然遺産、登録基準 (7)(9)、登録年 1993年
屋久島は、日本で最初に登録された世界遺産の1つです。みんなが知っている屋久島。
屋久島は、花こう岩(かこうがん)が隆起してできた島で、東京23区と同じくらいの広さの島に、標高1,000mを超える山が連なっています。
そのため「洋上のアルプス」とも言われるほどの特徴的な地形で、海からの湿った風が山にあたって大量の雨を降らせるのですね。このように、多雨地域であることに加えて、温暖湿潤な気候の屋久島では、海から山頂にかけて標高があがる毎に亜熱帯から亜寒帯まで植生が変わる【垂直分布】を見ることができます。
固有な植物としてはスギで、樹齢1,000年を超える屋久島固有のスギだけを【屋久杉】と呼ぶそうです。屋久杉って1本でかいのがボーン!って生えてるのかと思ってました・・・(笑)間違いじゃないけど、1本だけかと思っていました。
花こう岩からなる地面では、栄養がそんなにないので、スギはゆっくりゆっくりと成長し、目が詰まって樹脂を多く蓄えます。この樹脂には、防菌・抗菌・防虫作用があるので、湿度の高い環境でも屋久杉は腐ることなく長い樹齢を保つことができるんですって。しかも、この屋久杉が作り出す森林景観も評価されていて、日本の自然遺産で唯一【登録基準7(自然美)】が認められています。
屋久島には、ヤクザルやヤクシカなどの固有亜種動物たちもいます。これは、元々屋久島が九州と陸続きだったころに、ニホンザルやニホンジカなどの動物が屋久島側にも住んでいたことが理由です。1万5,000年ほど前に氷河期が終わり、海面が上昇したため屋久島側に取り残された動物たちが独自の進化を遂げて、今のヤクザルやヤクシカと呼ばれているのだと考えられています。
っておいおい
サルやシカって氷河期超えたんだ・・・すご・・・人間もだけどさ。
【世界遺産検定】白川郷・五箇山の合掌造り集落
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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■白川郷・五箇山の合掌造り集落(日本・岐阜県&富山県)
文化遺産、登録基準 (4)(5)、登録年 1995年
冬の白川郷は、日本の行ってみたい場所トップに入っています。冬に行きたいけど、寒いのが嫌いなので、毎年「よし!今年の冬は白川郷行こう!」って思うんだけど、冬になると「よし!家から出るのやめておこう!」ってなるんです。なぜ?
さて、白川郷と五箇山の集落は、雪深い環境や風土に合わせて作られた合掌造りの家屋は、日本の農村に見られる民家の中でも特別に合理的で優れた建造物です。また、この地域における生産体制や大家族制度に見合った土地の利用がみられるため、重要な世界の遺産だと言うことで世界遺産に登録されました。
構成資産は、荻町集落(おぎまち)、菅沼集落(すがぬま)、相倉集落(あいのくら)の3つで、一番大きい大集落は荻町で、ここが『白川郷』と呼ばれている場所です。
また、3か所が一緒に登録されているので、シリアルノミネーションサイト(複数の構成資産を複合体として登録すること)です。
【屋根と家のかたち】
これらの地域は、とにかく大雪がふる豪雪地帯!よって、茅葺屋根(かやぶきやね)は、積雪を防ぐため45~60度の傾斜がついていて、かなり尖った三角形になっています。また、雪の重みと風に耐えられるように、釘などの金属は使用しておらず、縄で縛って固定してあるそうです。家の構造も3~5階建てが多く、かなりの大豪邸。
【メンテナンス】
このような過酷な場所なので、ご近所さんとの助け合いが必要不可欠です。特に、茅葺屋根の葺き替え時には、1日で終わらせるために村民100~200人が総出で手伝うんだとか。
【大家族制度】
このような集落では、助け合いが大切と先ほど言いましたが、争いだって避けなければいけません・・・そのための知恵の一つがこちら。「家族になっちゃおう作戦!」農業に適した土地が少なかったので、分散や争いを避けるために、一つの家に20~30人で暮らしていたそうですよ。更に、屋根部屋などを利用して、養蚕や紙漉、塩硝(火薬の原料)を生業にもしていたんだとか。五箇山では、加賀藩(加賀、能登、越中を領地とした組織)が秘密裏に煙硝を製造しており、「塩硝」と称してブナオ峠(富山県)を通って金沢に運び出されていたそうな。塩硝の道とも呼ばれています。
こういうつながりや助け合いを称して【結(ゆい)】と言い、この名の互助会組織があります。
【場所によって違う作り】
白川郷にある荻町集落は、屋根に煙抜きが無い家が多く、玄関は【平入り】です。一方、五箇山にある菅沼集落と相倉集落は、屋根に煙抜きがあり、玄関は【妻入り】なのです。同じ系統に思えますが、このように若干、場所によって特徴が違うんですね。
※平入りの玄関。建物の横から入る。
※妻入りの玄関。建物の正面から入る。
【世界遺産検定】平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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■平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(日本・岩手)
文化遺産、登録基準 (2)(6)、登録年 2011年
日本の遺産の何が難しいってね、漢字。
読めないの!嫌がらせか!!!ってくらい読めない。
気を取り直して、こちらの遺産は以下の5つの遺産で構成されています。
・中尊寺(ちゅうそんじ)ー藤原清衡(ふじわらのきよひら)が再興
・毛越寺(もうつうじ)ー藤原基衡(ふじわらのもとひら)が再興
・観自在王院跡(かんじざいおういんあと)ー基衡の妻が建立
・無量光院跡(むりょうこういんあと)ー藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が造営
・金鶏山(きんけいさん)
どうやって覚えたかって?怒らないでね。
父キヨは中年太りに悩み、息子モトはハゲに悩んでいた・・・って覚えたよ。
さてさて、そもそもこの場所はこの地の豪族だった奥州藤原氏ゆかりの遺産だそうで、藤原家「建ててねぇんかい!」って感じなんですけどね。
このころ、11世紀から12世紀は日本の各地が、貴族政治から武家政治にかわる節目だったそうな。で、この奥州(現在の岩手県奥州市)では、金がいっぱいとれたのでその力で、軍事に頼らない平和的な政治をこの土地に作ろうとしたのが、藤原清衡氏!
この東北の街に『極楽浄土』を作ろうとして、実現しちゃったんだからすごいよね~
今の岩手を見ても、京都と肩を並べるほどの都市だったとは考えられませんが…(岩手を馬鹿にしているわけじゃないからね!)
ここの遺産は、8~12世紀に日本に広まった仏教の浄土思想の宇宙観に基づいているのです。「仏教の浄土思想の宇宙観」ってなんやねんって感じなので、調べたところ…「成仏しよう!」ってことのようですね。
浄土思想とは「阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え」で、まあ仏教の教えの一つで輪廻転生ではなく、死んだら仏国土(ぶっこくど)へ成仏することを話てることですね。ちょっと違ってたら教えてください。わかりやすくね。
この地に、独自の浄土庭園を造ったらしいです。
更に、11世紀頃は日本各地で戦いが起きていたのだけど、心の広い平和主義者な藤原清衡は「敵も味方も関係なく、戦いで命を失った人々の魂が浄土へ導かれ成仏できますように!」という祈りを込めて、中尊寺金色堂を建立したとか(中尊寺は再興、そこに金色堂をつくった)
すごい良い人じゃない?彼。
ここまで書いてて思った。
漢字が読めなくて頭に入ってこない&日本史に興味が無さ過ぎて頭に入ってこない。
【世界遺産検定】世界遺産基礎知識
ーーー前置きーーー
現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。
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このページはただのアウトプットなので面白くないかも。
■世界遺産登録の基本条件
ユネスコ自体の加盟国である必要はないよ!
②遺産があらかじめ各国の暫定リストに記載されていること
暫定リストも提出が必要
③遺産を保有している国自身からの推薦であること
他の国が推薦することはできないよ。例外は「エルサレムの旧市街とその城壁群」のみ
④遺産が不動産であること
土地や建物などの不動産じゃなきゃだめ
⑤遺産が保有国の法律などで保護されていること
そもそも「遺産を保護保全する義務と責任は遺産保有国にある」としているので、まずは自分たちでできる限り守ってなきゃだめ
これらの条件を兼ね備えたうえで、【顕著な普遍的価値】があり【真正性】や【完全性】が明らかで、さらに!【世界遺産条約履行のための作業指針で定められた10項目の登録基準】に1つでも当てはまること・・・
これでやっと登録されるか否か審議してもらえる。
■10項目の登録基準
先ほど出てきた登録基準は以下。これ覚えるの1番時間かかった・・・
ちなみに
(i)~(vi)のどれかを満たすものが文化遺産
(vii)~(v)のどれかを満たすものが自然遺産
両方にまたがっているものは複合遺産となります。
■世界遺産登録の流れ
①各国の政府が暫定リストを作成
②その中から今年提出するものを選ぶ(1年に文化遺産、自然遺産どちらか1つだけ)
③毎年2月1日までに世界遺産センターへ提出
④文化遺産ならIUCNが自然遺産ならICOMOSが調査
⑤世界遺産センターはその結果によって提出された翌年の6月~7月に開かれる世界遺産委員会で、【登録】【情報紹介】【登録延期】【不登録】の4段階で決議する
提出から約1年半かかる。結構長い道のりですな。
しかも、前までは何件でも提出してOKだったのに、そのうち1年で自然遺産と文化遺産1件ずつしかダメになって、2020年にはどちらか1件しか出せなくなってしまった。
そのため、2020年に日本から【奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島】が自然遺産として、【北海道・北東北の縄文遺跡群】を文化遺産として出したかったのだが、2020年に提出したのは、自然遺産のほうだけにしたのです。そして、文化遺産のほうは2021年の分として提出。
え?2020年に自然遺産増えたっけ?と思うかもしれませんが、実は、新型コロナウイルスのせいで2020年の世界遺産委員会(中国福建省予定)は延期・・・
2021年の6月~7月で、同じく中国福建省で開催されることが決まりました。
そこで、日本からはこの2件とも審議してもらえることになったので、登録されれば2件同時に世界遺産登録されますね。
そうすると、日本には25件の遺産(自然遺産5件、文化遺産20件)があることとなります。