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【世界遺産検定】石見銀山遺跡とその文化的景観

ーーー前置きーーー

現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。

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石見銀山遺跡とその文化的景観(日本・島根)

 文化遺産、登録基準 (2)(3)(5)、登録年 2007年

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島根の山間にある石見銀山。その昔、16〜17世紀にかけて発展したこの銀山とその周辺を含めて登録されている文化遺産で、日本で唯一文化的景観が認められている場所です。


遺産に含まれているのは、
・小規模な手掘りの坑道【間歩(まぶ)】
・集落や役所
・鉱山と鉱山街
石見銀山街道
・銀の積出港【鞆ヶ浦】や【沖泊】
・温泉津などの港と港街 等々


14世紀初頭に発見された石見銀山は、その後16世紀に発展期を迎え、17世紀初頭には、なんと世界の1/3に相当する銀を産出していたそうです。しかも、日本から出る銀の殆どが、この石見銀山でまかなわれていたそうで、とてもすごい場所なんですね。

この銀山がここまで発展し、日本一の採掘量を誇れるようになった背景には、途中で朝鮮半島から技術者が2人来てくれて、そこで【灰吹法】が教えたれたからです。
そして、良いことばかりではなく、これだけ稼いでくれる石見銀山なので、ここを巡って当たり前に争いも起きました。マタカヨ
戦国時代には、大内、尼子、毛利氏が仁義なき戦いを繰り広げ陣地を争いました。結局、最終的には関ヶ原の戦いで勝った徳川家康がゲット。その後もグイグイ儲けていくのですが・・・

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江戸時代に幕府が『鎖国政策』をしてしまったので、これ以上石見銀山に海外でさらに発展した技術が伝わることなく、遅れてしまったんですね。その結果、貿易もちゃんとできないし、需要と供給のバランスも崩れ、最終的には休山することとなったそうな。
鎖国政策って、現在のコロナにも通じるところがありそうですね。やはり自分の国と文化を守ることが最優先ですから。当時の幕府は、力でねじ伏せることができたようですが・・・今の日本は個人の価値観に任せます!ってスタイルですが、国によって違うしどの形が正解かわかりませんね。

 

鎖国政策とは>

江戸幕府が、キリスト教の排除(禁教)して対外関係を統制すること。日本は、自国を中心とした安定的、固定的な関係を選んだ国とだけ構築するものでした。他にも色々理由はあるみたいですし、「はい!今日から鎖国します!」と言ったわけでもなく、徐々に海外との交流(特にヨーロッパ方面のキリスト国)を禁止していったみたいですね。一般的には1639年~1854年の215年間が鎖国期間とされているみたい。終わりは、有名なペリー氏が来た時です。