自分用

自分の記録用

be natural, beauty and healthy.....

【世界遺産検定】ドゥブロヴニクの旧市街

ーーー前置きーーー

現在、世界遺産検定2級取得に向けて勉強中です。これまで、順調に4級、3級と一発合格してきましたので、2級も余裕だろうと思ったのですが、そんなわけにはいかなそうなのでアウトプットを兼ねてここで記事を書きます。自分が興味を持った遺産について書いていくので順番はバラバラです。

ーーーーーーーーー

 

ドゥブロヴニクの旧市街

 文化遺産、登録基準 (1)(3)(4)、登録年 1979年

f:id:teinei_days:20210311180707j:plain

 

クロアチアの、ドゥブロヴニク旧市街は「ヨーロッパの真珠」とうたわれています。ドブロブニクは海洋都市国家で城郭都市。街は城壁で取り囲まれており、港までも厚い城壁で守られています。ここはかつて「ラグーサ共和国」として発展したが、1667年の大地震や1990年代のユーゴスラヴィア崩壊の内戦で深刻なダメージを受けました。

それにより、1991年に危機遺産リストに記載されるも、この美しい城壁都市を復興させようと世界中からボランティアや企業が集まり、屋根や彫刻・レリーフが建築当時と同じ素材・工法・意匠で再建されると、1998年には危機遺産リストから解除されました。

 

現在、コロナウイルスが猛威を振るっていますが、かつてこのドゥブログニク周辺でもペストが大流行しました。ラグーサ共和国の全盛期だった中世(約476年~1453年まで、日本では鎌倉時代から戦国時代辺りのこと)では、ペストが大流行し、当時全世界の人口の 3 割がペスト罹患により死亡。ドゥブログニクのような閉鎖された街では、このような疫病が流行ったら一巻の終わりです。

 

そこで、ドゥブログニクは街に入ろうとする人々に、隔離施設(その名もラザレティ)での待機期間を求めました。

 

<街へ入るための40日間ステップ>

①市外から一番離れた場所で 10 日間過ごす

②問題がなければ、次の場所へ移りそこでまた 10 日間過ごす

③また問題がなければ、次の場所へ移りそこでまた 10 日間過ごす

④またまた問題がなければ、次の場所へ移りそこでまた 10 日間過ごす


計 40 日間にわたって経過を観察され、その間健康であればやっとドゥブロヴニクへ入る許可がおります。もし、途中で抜け出したりしたら死罪を含む厳罰に処されたそうですよ。コロナで2週間ホテル隔離なんて可愛いもんですね。

今回のコロナも、空港から逃げようとし沖縄の10代の女性や、熱があるのに公共交通機関で東京から岐阜に帰ったご夫婦もいましたね。

時代が時代でドゥブログニクだったら死刑だったのかも・・・

ひぇ・・・

 

早く収束して行きたい時に好きな所へ行ける日々が来ることを願います。

今は、自分が感染源にならないように気を付けることしかできませんね。